Profile
Aoreを立ち上げたのは、
それぞれの専門性を持つ4人の“車バカ”。
原田 直忠
車のエンジン音は、僕の魂を震わせる。カムシャフトがカシャカシャいう音、ターボタービンが空気を
吸い込む音、そして排気音……一台一台、レシプロエンジンの個性が音となってあらわれる。映像制作を仕事にして約40年。
今、心から映像にしたいと思うのは、やはりガソリン車の走る姿だ。
16歳の誕生日を迎えると同時に、保守的な両親には内緒で免許をとり、小遣いをためて中古バイクを購入。
金がないから、壊れたら自分で修理をした。バイク屋の店主にかわいがられ、バイトまでするように。
稼ぎはすべてその店でバイクの部品に消えていった。
学校があった名古屋から鈴鹿サーキットに通うようになり、僕はエンジンの神様POP吉村の存在を知った。
どこまでも続く探求心。自分を信じ、挑戦することを恐れない。失敗や絶望からも必ずや立ち直り、自分にしか作れないものを作る―彼のその姿は僕の脳裏に焼き付き、のちに仕事で窮地に立たされた際、いつも思い出しては、前進する勇気をもらったものだ。
映像を仕事に
僕にとって車は愛でるもの。仕事として選んだのは映像業界だった。
カメラ好きの父親の影響で中学生の頃から写真を撮りはじめ、一時はスチールカメラマンになることも考えた。
しかし、高校生の頃に見た歌番組のダイナミックなクレーンワークに、車と出会ったときのあのワクワク感を覚えた。
「こういう映像を創りたい」と映像への思いが募り、地元関西のローカルテレビ局に就職、しかし徐々に地方局で制作できる番組のスケールに物足りなさを感じるようになった頃、師匠となる人に出会い、弟子入りを決める。
キー局でのディレクターとして活躍されていた師匠は、制作・技術両方についてとんでもない深さの知識を持つ人だった。
彼は、僕を本当の意味でのクリエイターへと導いてくれた恩人だ。
師匠に連れられた大手広告代理店の現場で、僕はトップクラスの映像制作に初めて触れた。
そこで、改めて映像制作の基礎を徹底的に叩き込まれることになった。
30歳を前に、エンタメの中心、東京で力試しをしてみたくなり上京。
撮影と編集両方を知ることが武器となり、ミュージックビデオやコマーシャルなど多くのエンターティメントコンテンツを手掛けるようになった。
例えばCMでは、1/30秒をどう使うかでクオリティは変わる。どれだけ見る人の心に刺さる映像と音楽の組み合わせになるのか―そこが腕の見せ所だった。
IT企業で、Eラーニングやビデオオンデマンドの仕組みの構築にも関わった経験から、ITの知識もある。
撮影・編集・グラフィック・システム・WEBサイト構築…あらゆるコンテンツ制作を請け負うことが可能になった。
僕がコンテンツ制作をする上で大切にしているのは、想像力・創造力・エンターテインメント。設立した自分の会社の社名にもその頭文字をつけた通り、僕はオンリーワンのコンテンツを作り出すことに心血を注いでいる。
車を仕事に
コンテンツ制作にまつわる環境も変わり、自分の人生を見つめ直したときに浮かんできたのは、ずっと抱き続けた「車が、エンジンが好き」という思いだった。趣味だと割り切ってきた車に、僕がこれまで培ってきたクリエイティブの力を掛け合わせて仕事にしたい―これはもう、エゴと呼べる考えだろう。
レシプロエンジンは、約1世紀前に発明されてからというもの、人々の生活を豊かにし、経済の発展を後押ししてきた。極限までその特性を生かすために切磋琢磨し、1/1000秒への戦いを挑んできた、多くの人々の知恵と工夫の賜物なのだ。
ガソリン車から電気自動車に切り変わっていくのは、時代の流れで仕方がない。
しかしこんな今だからこそ、先人たちの努力の結晶を、僕の残りの人生をかけて人々の記憶と記録に残す必要があると思うのだ。
レシプロエンジン独特の構造から奏でられる音、車のフォルムの美しさ…
これらを残すために、原田にしか生み出せないコンテンツが、必ず、あるはずだ。
POP吉村のように、逆境を嘆くのではなく、自分を信じて挑戦すれば、必ずや意味のあるものができあがると信じている。
庄野 正弘
父から借りた小さなカメラから始まった胎動は、Ferrari 328 GTSとの邂逅によって発祥へと移った。
父に借りたフィルムカメラを持って風景を撮り始めたのがカメラとの最初の出会い。ひたすらに風景を撮り、見返すだけで楽しかった。雑誌の切り抜きをクリアケースに入れるのが流行っていた中学生時代、友達がクリアケースに入れていたNikonF3の切り抜きがとてもカッコよく、すぐに一眼レフカメラが欲しくなり、新聞配達のアルバイトで貯めたお金でCanon
AL-1を買った。高校生になってバイクの免許を取り、休みには富士スピードウェイに行き、本戦から練習走行まで、ひたすらシャッターを切った。現像しプリントを最初に見る時のドキドキ感はなんとも形容し切れない。
好きという言葉では片付けられないほどにのめり込んでいた。
高校の文化祭や体育祭で撮った写真をクラスメイトに見せたら評判がとても良かった。
好きでやってきたことがこんなにも誰かに喜ばれてるのが新鮮でとても嬉く自然とカメラマンを志すようになり、日本写真芸術専門学校に入学、新聞配達をしながら学校に通う毎日、新聞奨学生というやつだ。
ある日の夕方、マンション横にFerrari 328
GTSが停まってるのを見つけた。息が止まるほどの衝撃、居ても立ってもいられなくなった僕は急いでカメラを取りに行き、無我夢中でシャッターを切った。
ちょうどオーナーが下りてきたので、写真を撮ってもいいか尋ねたところ、快諾してくれた。
その日をきっかけに328 GTSのオーナーと親しくなり、何度も撮影の為にドライブに連れてってくれた。
八王子にあるFerrari専門の修理工場に連れて行ってもらったとき、何台もFerrariが並んでいる中に、一際オーラが違う一台に心がザワついた。当時はよくわからなかったが後で調べてみたらあのエンツォ・フェラーリが遺した渾身のスーパーカー「F40」だった。別格のオーラに圧倒され、車が放つデザイン性の高さと美しさを身に染みて感じた。世界にはこんなにカッコいい車があるんだと!このときは慣れないせいで満足いく写真を撮ることができず、目で記憶した景色がずっと頭から消えなかったがあの時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。
車に魅了され「カッコいい車を撮りたい!」という想いが募り、卒業作品展にFerrari 328
GTSの写真を提出、車をメインに撮影・照明を行なっている株式会社フォトムに入社する。フォトムは車のカタログ撮影のライティング(Lighting)がベースになっていて、ライティング技術が合格点に達してないと、カメラマンにたどり着くことはできない。「いつかはカメラマンとして独立したい」という向上心を胸に下積みを経験し、6年近く掛かってやっとカメラマンになった。確かなキャリアを重ね、車をメインで撮影する傍ら、人物や物撮りにもチャレンジし、マルチな方面にも果敢に進み続け、2007年に独立を決断する。
カメラマンとして培ってきた経験を活かして第一線に立ちながら、一つ一つの仕事を確かに重ねる。
フリーになってからも現状には留まらず、新しいことに挑戦する姿勢を崩さず洗練する。
早くからドローンに挑戦し、ゼロの状態から空撮の仕事を可能にし、同時に動画編集も始めた。
好奇心で多くのことにチャレンジする姿勢で、できることを増やしてきた。裾野を広げていきながらも、核の部分はずっと変わっていない。全てのきっかけとなったカメラと車への想いは、人にも届く形に変わっている。
これまで積み重ねてきたカメラマンとしての道のりと、素敵な出会いのおかげであのとき満足いく撮影ができなかった「F40」を撮影することもできた。Ferrari 328
GTSのオーナーとの出会いは、僕の人生の大きなターニングポイントになっている。
車と人との出会いが築き上げてきた物語をレンズに投影しながら、今日もシャッターを切る。
高橋 博幸
目指しているのは、車体そのものだけでなく開発者の想い、キャラクター、時代のイメージまでも切り取り表現すること。
それぞれの車が持つ本質的な魅力を、自動車文化として後世に残すこと。
父は自動車整備士、母の実家は自動車修理工場という環境で育ち、物心ついた頃から車が好きだった。
車のことが知りたくて、自動車雑誌を眺める毎日。車の名前や知識を覚えることに夢中になり、将来乗る車やバイクの夢ばかり見ていた。
18歳になるとすぐ免許を取得。ケンメリ4Dを購入し、時間とお金が許す限り、改造にのめり込んだ。
自分で車をチューニングし、工夫をこらして乗りこなす醍醐味を味わった。
チューニングの魅力にとりつかれ、自動車整備士の免許を取得。自動車整備工場で働きながらチューニングショップの仕事を探した。そんなある日、車の広告を撮影するスタジオの求人募集を見つけた。
「これまで何度も車を撮影してきた。けれど、思い描くような車の写真を撮ることはできなかった。
車両撮影の秘密を知ることができるかもれない…」先の見えない毎日に行き詰まっていた私は応募することに決めた。
1985年株式会社フォトムに入社。撮影スタジオの照明スタッフとして自動車メーカーのカタログ・ポスターなどを撮る仕事に携わることになった。さまざまな車の持つ世界観と魅力を伝えるために働けることが楽しかった。惹きつけられる写真を撮るカメラマンがいた。車好きのカメラマンだった。愛情と情熱で表現がこんなに変わるものかと感動した。
「自分には誰にも負けない車への愛情がある。だから、誰よりも車の魅力を引き出す撮影ができるはずだ」
その時からこの仕事を追求しようと決心した。来る日も来る日もセットを組み、背景をつくり、照明を調整し、仕上がった写真を確認する。回数を重ねるうちに、今まで見えなかったものが見えてきた。
照明は明るさを補うためではなく、写真を演出するツールだ。同じ被写体でもライトの当て方によって表情はガラッと変わる。照明の可能性に感銘するとともに、面白さに気づいていった。
照明ディレクターとして、現場を任されるようになってからは、求められている表現に対して、映り込みや陰影の効果を綿密に計算し、照明の位置と角度、バランスを考え抜いた。
広告写真で大切なのは、プロダクションのデザイナーがどんな仕上がりを狙っているかを考えること。
そのイメージをライティングで実現させる。仕上がりの方向性と趣旨を理解し、ラフスケッチ以上の画作りを目指した。休みの日には、先輩の現場で学びを深め、街にいる時は「あの場所に車を置いたら、こういう風に狙える」と、常に自分の目線をレンズに置き換えて考えていた。
1996年から撮影制作のマネージャーとして、自動車メーカー販売企画部へ出向。レーシングチームのメカニック、自動車の開発者と仕事をする機会に恵まれた。その車がどんな背景で生まれ、どのように開発されたのか。レーシングチームからのフィードバックがどう生かされているのか。
パーツの間隔、プレスラインの位置、すべてに意味があり、それが本質的な美しさを生みだしていることを肌で感じた。車両への理解が更に深まり、車を美しく撮るには、車そのものだけでなく、その背景横たわる社会や時代、開発者の想いなどのストーリーを意識することが重要だと感じた。
2009年に撮影プロデューサーとして独立。さまざまな車両、商品の撮影ディレクション、ショールームの照明ディレクションを手がけてきた。学校案内プロモーションビデオ及びパンフレット製作、ドカティPR、カンパリキャンペーン広告、化粧品、健康器具取説動画撮影、アプリを使った商品PRなど新たな媒体での広告宣伝にも携わり、現在も活動の場を広げている。
加藤 裕幸
車が目を覚ます瞬間の、低く脈打つエンジン音。路面を蹴るタイヤノイズ、マフラーから抜ける排気音。
車は、いつだってさまざまな音に包まれている。
音は、記憶と強く結びつく。
あの峠を走った夜や、大切な人を助手席に乗せた帰り道。風景とともに、そのときのエンジンの響きがよみがえる。
だからこそ記憶を記録に残す際に、音が担う役割は大きい。
映像だけでは残せない、その車だけの鼓動を未来へ手渡す。そのために、僕は音を作り続ける。
ゲームが教えてくれた、車の音
僕は実車より先に、ゲームの中で車に出会った。
車が変わると、エンジン音や加速の感覚、そして世界の見え方さえも変わる。
低く太いディーゼルの鼓動は景色をどっしりと見せ、EVの無音走行は、世界に鋭く未来的な輪郭を与える。
あるとき、音を消して走ってみた。途端に画面と自分のあいだに距離が生まれ、没入感が失われ、車との一体感も薄れた。
その瞬間、気づいた。
音は単なる装飾ではなく、人と映像をつなぐ接点なのだと。
レールを外れて、音の道へ
クラシック好きの両親の影響で、子どもの頃からヴァイオリンやギターに親しんできた。
僕のそばには、いつも音楽があった。
クラシックだけでなく、ゲームから流れてくる音楽も大好きだった。
同じ場面でも、流れている曲が変わるだけで感じ方が変わる。
そう気づいたとき、音の持つ力を知り、心が震えた。
学校を中退し、音楽の道へ進んだ選択は、周囲から見ればレールを外れたものだったかもしれない。けれど、ゲームを通じて出会った大人たちや音楽仲間との時間が、確実に僕の世界を広げてくれた。
やがて、夢中になって遊んでいたゲームの音を自分が作る側になり、2008年、株式会社Moonbow Musicを設立。
ギタープレーヤーとして作編曲活動などを続ける傍ら、ゲーム音楽や効果音の制作をはじめ、企業映像の音楽やサウンドロゴなど、音を通して体験を生み出す仕事を手がけてきた。
レコーディングスタジオの運営に加え、音響体験を生み出す空間全体のサウンド設計など、音を生み出す環境づくりにも携わっている。
さまざまな形で音を設計し、人と世界をつなぐ仕事を続けている。
遊びの延長線上で始まった仕事は、いつしか人生そのものになった。
僕はゲームの主人公のように、いくつもの場面をクリアしながら前に進み続けている。
音の価値を、もう一度
流れている音楽によって、味や香りの感じ方までも変わると言われている。
音は感情だけでなく知覚そのものに影響を与え、人が世界をどう感じるかを左右する、大切な要素になりうるのだ。
音楽の体験は本来、きわめて属人的なものだと私は考える。だからこそ、依頼された音を自分の好みで作ることはしない。その人や企業が目指す世界を、聞く人にどう体験してもらうかを考え、音を設計する。
僕はクライアントの歴史や理念、背景を丁寧に聞き取り、想いを言葉にし、それを音へ翻訳する。言葉と音を行き来しながら、一本の軸を探る。
AIが瞬時に音楽を生み出せる時代になったからこそ、人間同士が軸を作り出すという過程が、更なる「体験」をもたらすのだと思う。
この考え方は、Aoreプロジェクトの音づくりにもつながっている。
僕が作る音が担うもの
想いの詰まった車の音を残すには、ただ再現すればいいわけではない。
運転席で身体に伝わる響きと、外から聞く音ではまったく違う。エンジンの形式や位置、排気がマフラーへ抜ける流れひとつで音の表情は変わる。その振動がどんな部材を通して身体に届くのかまで踏まえ、響きを設計する必要がある。
車に魅せられた者たちが作る映像に、車の音の価値を知り尽くした僕が音を重ねる。
そこにもまた、価値が宿ると信じている。
車を愛する人が大切にしてきた、一台の記憶。刻まれてきたその鼓動を、ただのデータではなく、体験として未来に残す。
Aoreプロジェクトには、その音を任せられるスペシャリストがいる。
そう胸を張って言える音を、これからも作り続けていく。
こんな私たちが、自身の持てる全ての力を使い、
車好きだからこそ生み出せるコンテンツを作り、
先人たちが人生をかけたレシプロエンジンの存在を人々の記憶に刻みます。